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ベヒシュタインピアノの経歴

 昭和6年,尾道県女に当時としては最新設備を誇る講堂が建てられた。その講堂には,ベヒシュタインという当時の世界でも最高級品に属するピアノが備えられた。このピアノは県女の誇りであった。このピアノの伴奏でどれだけ多くの女学生が青春の歌声を響かせたことであろう。また,多くの音楽家がこのピアノを弾き,このピアノの伴奏で聴衆をうっとりさせたことか。このピアノも,昭和20年には講堂を軍隊が使用し,あやうく痛めつけられ壊されるところだった。それを女学生たちは椅子で隠して守ったと言われている。
     
 戦後もしばらくは,東高校の名物であった。ある時は保険をかけて広島まで運ばれ,当時は珍しかった外国のピアニストの演奏に使われた。しかし,年と共にこのピアノも忘れられていった。(中略)昭和47年に,旧本館,すなわちこのピアノが座っていた講堂が撤去されると,居場所を失うこととなるのである。
     
 その後,音楽準備室に設置されていたが,象牙の鍵盤は磨り減り黄ばんでいた。何回か移動したためであろう,脚は傷ついていた。よみがえらせるためには多額の経費を必要とした。こうした優れた楽器は,単に音を出す道具と考えたくない気品がある。80周年記念事業(平成2年)として同窓会が寄付を募り完全修復した。(「80年のあゆみ」より一部抜粋)

本校のピアノで演奏しているソロモン氏の演奏会(昭和28年10月5日広島市東洋座)

本校所有のベヒシュタインピアノの由来について

〜ピアノ演奏会における景山勝博氏の講演から〜

 東高のピアノは、ベヒシュタイン社製である。現在、ピアノの世界三大メーカーは、スタインウェイ、ベーゼンドルファー、そしてベヒシュタインと一般に言われている。ベヒシュタインはピアノ製造会社を作った人の名前で、フルネームはカール・ベヒシュタインで、会社はベルリンで1853年に設立した。

 昭和37年(1962年)に本校へ赴任した当時同窓会長からお聞きした話によると、

 昭和6年(1931年)広島県立尾道高等女学校は創立20周年を迎え、同窓会が記念事業として学校へ講堂を建設して寄贈することになり経費を募ったところ、全国から六千円の寄付金が集まった。内四千円で現在の本館の位置に千人が収容できる当時としては最新の設備を完備した講堂を建築して寄贈した。寄付金の内余った二千円で講堂の備品としてベヒシュタイン社製のフルコンサート・ピアノを購入して寄付した。

 購入当時のベヒシュタイン日本代理店の帳簿には、昭和6年に同型のピアノは3台輸入され、本校の他に宮内庁と内閣総理大臣官邸に納入されたように記載されていたということである。なぜベヒシュタインのフルコンサート・ピアノが選ばれたのかは判らないが、当時のベヒシュタインフルコンサート・ピアノはだれでもすぐに買える品物ではなく、二千円という代金も民家が二軒建つほどの貨幣価値で、とても高価なものであった。

 私が昭和37年(1962年)に本校へ赴任した後、以前本校の音楽教師をされていた小林教子先生(元広島大学教授)からお聞きした話によると、

 本校講堂は地理的に便利な場所にあり、更に最高級のピアノが備えてあったことから、戦後まもなく誕生した尾道文化連盟が、東高講堂を会場にして定期的に演奏会を開くようになり、よつやふみこ四谷文子(声楽家)、いがらし五十嵐きよし喜芳(声楽家)、すわ諏訪ねじこ根自子(ヴァイオリン)の各氏など、多くの著名な演奏家が来演された。中央でもなかなか聴くことのできない、優れた音楽家の演奏に身近に接することができて、東高講堂は尾道市民の芸術文化の発展に大いに寄与したということである。

 これらの活動を通して、東高にベヒシュタインあり!は演奏家の間でも広く知れ渡ることになって、昭和28年(1953年)に来日したピアニストのソロモンが広島でのコンサートを開くに当って、「東高のピアノでないと演奏しない」と言ったため、このピアノは広島までトラックで運ばれた。ガタガタの山道を延々と往復して移動させられたためにピアノはガタガタになり、脚もグラグラになり極めて大きなダメージを受けた。

 昭和37年に私が本校へ赴任して来た時ピアノの脚は修理されていた。前年の36年に30万円で修理したということであった。優雅なピアノ本体にそぐわないヤマハ製のシンプルな細い脚が付けてあった。

 しかし当時30万円はグランドピアノが買える額で、決して些少な金額では無かった。赴任した年も文化連盟の演奏会は続いて開かれていて、私は偶然にも一流のバイオリニスト黒沼ユリ子の練習風景に立ち会うという幸運にめぐり合えた。しかしこれが文連の最後のコンサートになって、同年に尾道市公会堂が完成してからは市民の音楽に関する行事はすべてそちらに移され、それまで市民の芸術文化の発展に大いに貢献した本校講堂はその役務を終えた感があった。

 昭和44年(1969年)に第1体育館が建てられてから全校の学校行事もそちらで行われることになり、ピアノもそちらに移された。実に40年近い棲家からの転居であった。講堂は木造の太い柱の大きな骨組みの建物で、本瓦の屋根は構造も厚く、ガラス戸も適当な通気性があって、夏は涼しく、冬は暖かであった。長期間ここに保管されていたがそんなに酷な環境ではなかった。しかし体育館は違っていた。屋根はスレートで薄く、西向きの構造で他の三面は崖や近接の校舎で塞がれ通気性に乏しく、サッシで密閉された館内は、夏は西日をいっぱい受けて蒸し風呂になり、冬は午後にならないと陽が入らないために冷蔵庫になった。最悪の環境であったがこの場所しか置くところは無く10年の間この第1体育館に置かれていた。

 昭和54年(1979年)にそれまで年度を追って続いていた本校の校舎改築工事が特別教室の完成で終了した。早速に少しでも環境の良い、新しい音楽室へベヒシュタインピアノを移した。

 平成2年(1990年)に創立80周年を迎え、当時同窓会長をされていた三宅敬一さんから「記念事業として、ベヒシュタインピアノの修復を行おうと考えているがどうか」と夢のようなお話をいただいた。早速に同ピアノの日本代理店に連絡を取り、修復が可能かどうか本体を見てもらうために技術者に来てもらうことにした。二名の技術者が来校され隈なくピアノを見た後に、「共鳴板が傷んでいないから修復は可能だ」と言われた。「やったあー!」。飛び上がらんばかりにうれしかった気持は今でもはっきり覚えている。しかし後日郵送されて来た修復にかかる費用の見積書を見て不安になり、悲喜こもごもの気持で同窓会役員会が開かれる日を待った。見積書には600万円近い金額が記されていた。説明によると、鍵盤は象牙で張替え、ハンマー、絃もすべて取り替える、本体の木部は全体漆を剥ぎ取ってかけ直す、割れた楽譜のスタンドとヤマハの脚は製作当時の設計図が残されているからそれを見て本来のものを作り付け替える、その他部品等の消耗部分はすべて第一級レベルで修復するということであった。また最初はドイツ本社へピアノを送り返して修復作業を行うことを考えていたそうであるが、運送費などが多くかかるので技術者をドイツから来させて作業をするということであった。

 修復に関わって新たなピアノに関する事実が判明した。本体に刻まれている製作番号をドイツ本社の古い台帳で調べてみたら、1906年の製作であることが判った。本校への納入が1931年だから、作られてから25年の間の空白がある。どこでどうなっていたのだろうか。一級品で値段が値段だから早々に売れるものではないことは判っているが、売り手も悠久な構えの時代でもあったのか、はたまたドイツから船で運んで来るのに今では想像がつかない程の長い時間がかかっていたのだろうか。会社でも実際のところはまったく判らないということであった。

 8月のお盆前に本校の学生食堂で午後5〜6時頃からだったと記憶しているが同窓会役員会が開かれた。私も同席をするように言われて会議の成り行きを見守った。高額な費用には役員も一様に驚いておられたが、中には逆に「そんなに費用がかかるのなら、もう少し足して新品を買って寄付したらどうか」という発言もあったが、「いや、私らにはピアノの小さなキズに思い出が残っていて、このピアノが愛しいのだから新品にするのは反対だ」とあって新品の話は消えた。新品にする話も今から考えてみると、この時期はバブルの絶頂期ですべてに押せ押せムードではあった。満場一致で見積書通りに修復することが決定され、ピアノは約半年間のお里帰りとなった。

 修復作業が終了近くなって、「見かけは復元されてきれいになっても、本命の音色が復元されたかどうかはわからないので何か良い方法は無いのか」と代理店へ尋ねたら、「世界的にも有名なピアニストの園田高弘氏がベヒシュタインピアノの愛好者で、自宅にも数台同社のピアノを持っておられ、このピアノの音色をよく知っておられる」と返事があり、早々に園田氏へ演奏会の開催をお願いした。氏は国内外の演奏会出演依頼、コンクール審査員依頼等の超過密スケジュールの中を突然のことにも関わらず、こちらの事情をご理解くださり演奏会を引き受けてくださった。

 平成3年(1991年)に前年に新築された第2体育館に見違えるばかりに修復されたベヒシュタインピアノを運び入れて「東高ベヒシュタインピア修復記念・園田高弘ピアノリサイタル」を開催した。昼間は本校生徒のみを対象に芸術鑑賞会としての演奏と、夜間に同窓生を主体に一般市民を対象にした演奏会と、一日に2ステージを持ってくださった。演奏会終了後ピアノについて「とても良い状態に修復されていて、音色もベヒシュタインそのものの響きで申し分無い。」と言われて関係者一同とても喜んだ。ピアノはその後は第2体育館の舞台上手に置くことにした。第1体育館よりはるかに環境は良いのだが、代理店からピアノ庫を作ったらどうかと示唆を受けて、再度同窓会へお願いして100万円余りのご寄付をいただき、空調と防湿器を備えたピアノ庫を第2体育館舞台上手に作り保管することになった。

 ベヒシュタインピアノの響きの真骨頂は柔らかい木の響きがすることで、特に“合わせもの”にその良さを表すといわれる。歌の伴奏やバイオリンやフルートなどの楽器演奏の伴奏、室内楽の演奏に適している。そのためにピアノ演奏者に伴奏楽器として、他の楽器とのバランスを正確に聞き取るために、楽譜立てがメッシュ(透かし彫り)にされている。楽譜スタンド板がピアノ本体から出てくる音を遮断しないようにと細やかな気配りが施されている。

 本校のピアノはピアノの命である共鳴板が100年という長い年月を経て適度に乾燥しており、独特の音色を出す。同じレベルの新品のピアノは現在1600万円前後で手に入るが、本校のピアノはとてもそのような金額では動かせない。バイオリンのストラディバリウスと同じで、古くなるほど共鳴板が真価を発揮するようになり、例え新品の2倍、3倍の値段であっても手に入れたいマニアは存在する。文字通り学校の宝物として今後大事に保管してくださることと、何よりも楽器が一番喜ぶこと、「ピアノ演奏会」を定期的に開いてくださることをお願いして講演を終わります。

 講演者紹介

 景山勝博(かげやま まさひろ)

 1962〜1980年および1987〜1994年の25年間,広島県立尾道東高等学校に勤務。

 尾道市しまなみ交流館館長(現職)

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